認知症の母を撮影し、映画に。ドキュメンタリー監督【信友直子さん】「母が認知症になって父の素晴らしさに気づきました」
母が認知症になって気づいた、父の素晴らしさ
東京で暮らす信友さんに代わり、介護を主に担ったのは父・良則さん。信友さんが最初に言われたのは、「おっかあがいちばんつらいんじゃけん、追い詰めるようなことはするな」だった。
「父は、鼻歌を歌いながら家事をしていました。面倒をかけていると母が気に病まないようにアピールするためです。でもそれは、母が認知症になったからじゃないと思う。以前から家族のためにという気持ちがある父だったから、できたことだと思います。母が認知症になるまで、私はそのことに気づきませんでした」
それまで信友さんは、良則さんのことを好きでも嫌いでもなかった。おとなしくて、空気みたいな存在だったのだ。
「父はすごく妻思いのいい男でした。介護は大変だったと思いますが、まったく自分に興味を抱いていなかった娘に評価されて、父はうれしいんじゃないかな」
父と私の介護ヒストリー
2012年
もの忘れが多いなど、母・文子さんの様子がおかしいことに気づき病院へ。症状はまだ軽く、長谷川式認知症スケール※は30点満点中29点。どうも受診前に予習したらしい。
※多くの医療機関で使われている認知機能テスト。主に記憶障害の有無を調べる。
2013年
少しずつ症状が進む文子さんと、ケアに携わる父・良則さんの日々の様子を映像に撮り始める。
2014年
再び受診。長谷川式認知症スケールは30点満点中14点で、認知症の診断が下る。ここから2年ほどは介護サービスを使わず、介護は主に良則さんが担った。信友さんはたびたび、東京から実家のある広島県呉市に帰る。
2016年
介護サービスの利用を始める。デイサービスへの通所で、文子さんに笑顔が戻ってくる。
2018年
文子さんが脳梗塞を発症。自宅での介護は難しく、長期入院となる。
2020年
6月、文子さん永眠。家族に看取られての穏やかな最期だった。
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▼後編に続く▼
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撮影/黒澤俊宏 取材・文/荒木晶子
※この記事は「ゆうゆう」2025年10月号(主婦の友社)の記事を、WEB掲載のために再編集したものです。
