【山田邦子さん】が語る母の介護と看取りの3年「もっと早く頼っていれば」と感じたものは…
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志賀佳織
母が受けたことを私たちが返していく
まもなく昭子さんは、おしゃべりもできなくなって、本当の寝たきりになってしまった。また弟さんの具合が悪くなり、このときに初めて、姉弟はホームヘルパーさんに介護の支援を頼むようになった。そして、初めて要介護認定を受けたところ、いきなり最も重い要介護5と認定された。
「どれだけの手遅れかということですよ。あまりに知らないことが多過ぎて、何もかも自分たちでやっていたんです。ストローで鼻も唾液も全部吸ってあげましたよ。もうバカですよね。後からドラッグストアに行ってみたら、便利なものがたくさんそろっているじゃないですか。それまでホットタオルを作るのでも、熱いお湯を沸かして『熱い、熱い』って言いながらやっていたのに、タオルを少し濡らしてラップでくるみ電子レンジで加熱すれば、数秒でできることも教えていただきました。やせてしまった母でしたが、それでも抱きかかえたり、起こそうとしたりすると重いんです。弟はそれで腰を痛めましたが、それだってヘルパーさんがプロの技術でやってくださったら楽にできる。早くお願いすべきだったと思いました」
そうしているうちに、家の近所にとてもよいサービス付き高齢者向け住宅があることがわかり、預かってもらうことになった。週末に帰って来たり、車椅子で外出できたり、出入り自由なことがよかった。
「職員の方々がね、お誕生会などのイベントをやってくださるんですよ。母の誕生日のときも、頭に折り紙で作った花冠を載せて、『おめでとう』と祝ってくださったんです。でもそのとき、母はもうわからなくなっていたので、『ああ、もう少し早く入れてあげていたら、社交的な母はどんなに喜んだだろう』と悔やまれました」
もう少し病状が進むと、今度は医師や看護師が常駐している施設が、これも近くにあったので、そこに移ることに。こちらも素晴らしいケアをしてくれるところだった。
「びっくりするような手厚い看護で素晴らしかったです。行くたびに母が何だかきれいになっていくんです。私たちだって一生懸命やっていたんですよ。だけど、そのときよりもずっときれいになっていく。どうしてかを伺ったら、職員の方が『私たちが肩を組んで一緒にお風呂に入っています』と言われて。それを聞いたときは、土下座をして御礼を言いたくなりました。他人にそこまでできるなんて、あの方々は天使ですよ。これは次にそういう困っている方がいらっしゃったときには、私たちがやっていかなきゃいけないことだと、それを母が最後に教えてくれたのだと思いました」
2023年10月、病院で昭子さんは旅立った。89歳だった。介護にプロの手を借りることが遅れた背景には、弟さんが『お母さんは治る』と信じて、介護よりも病院での治療を優先させようとした経緯があった。それは家族であれば痛いほどわかる心情だ。誰もが迷うところに違いない。何が正解かは誰にもわからない。ただ邦子さんは、母の介護経験から「早めに動く。早めに備える」ことの大切さを痛感したという。
「家の階段や廊下に、手すりをもうつけましたよ。それからベッドを電動ベッドに替えました。電動ベッドは介護認定が下りると安くレンタルできるのですが、私は今から自分用に買いました。今のうちに慣れておこうと思って。これが結構いいんですよ。スマホを見るときに、ベッドを起こして椅子の形にしたほうが首が楽です。足を少し上げて寝るだけで血流もよくなる。母の介護で学びましたからね。早め早めに私は備えていこうと思っているんです」
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