ヒット曲の裏で「EPOらしさ」に縛られた日々––––ロンドン移住で見つけた等身大の歌と自由な働き方
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ゆうゆうtime編集部
EPOさんは「DOWN TOWN」でデビュー後、ヒット曲を連発して瞬く間にトップアーティストの仲間入りを果たした。人気が上がるなかでのロンドンへの移住には何があったのか? ロンドンで音楽との向き合い方に変化が生まれ、帰国後は所属事務所を持たず、自由な活動を展開していった。
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>>【EPOさん】が語るデビュー前夜の「ミラクル」山下達郎さんに直談判してカヴァー曲でデビューするまでロンドンへの移住で音楽との向き合い方に変化
デビュー曲「DOWN TOWN」が、1981年にスタートしたバラエティー番組「オレたちひょうきん族」のエンディングテーマに起用され、EPOさんの知名度は一気に上昇した。82年リリースの「土曜の夜はパラダイス」も同エンディングテーマとして起用され、さらに83年に資生堂のCMソングとして発表した「う、ふ、ふ、ふ、」が大ヒット。この曲はその後も多くの商品のタイアップに起用され、EPOさんの代表曲となっていった。次々とヒット曲が生まれていく一方で、この頃のEPOさんは人知れず壁にぶち当たっていた。
「ヒットするのは嬉しいのですが、周りに起きている流れに自分がついていけなくて、本当に大変でした。それでもやらないといけないので、一生懸命頑張っていましたが、自分の中にインプットしていく時間がなくて、想像の中だけで曲を書いていくことに限界がありました。そうしたなかで、違う歌も歌ってみたくなって、そういうものを会議に出すと『これは大衆ウケしない』と、受け入れてもらえずにお蔵入りになってしまうことも多々ありました」
EPOの楽曲=アップテンポで元気な曲。曲のヒットともにそんなイメージが定着していき、周囲が作った“EPOらしさ”というイメージに縛られるようになっていった。悩む日々が多くなり、体調を崩してしまい、限界を感じていた時、転機がやってくる。
「このまま続けていたら壊れてしまいそうだなと思っていた時に、ヴァージンUKとの契約が決まったこともあってロンドンに移住しました」
88年から3年間、ロンドンで過ごした日々により、EPOさんの音楽との向き合い方は変化していく。
「ロンドンに行った時、向こうの人から『僕らがEPOの声を聴くとなんかポップって感じがしない』って言われたんです。『僕らが聴きたいのはEPOにしかできないこと。真似はいらないから、アイデンティティというEPOの中に流れている血液の音楽を聴かせて』って言われて、すごく嬉しかったんです。ちょうど元気な曲を歌うことに疲れていた時だったから、生き方と歌が離れないように、等身大の歌を作っていこうと思いました」
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