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「どうする家康」ついに“家康”に改名。松潤が戦うカリスマ空誓(市川右團次)とは?

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鷹橋 忍

「どうする家康」ついに“家康”に改名。松潤が戦うカリスマ空誓(市川右團次)とは?

徳川家康公銅像(写真提供:岡崎市)

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徳川家康というと、どういうイメージをもっていますか? 2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」では、どんな家康が描かれるのでしょうか。戦国武将や城、水軍などに詳しい作家 鷹橋 忍さんに、知られざる徳川家康の姿や時代背景などについてひも解いていただきましょう。

大河ドラマ『どうする家康』第7回「わしの家」では、ついに「家康」に改名しましたね。

また、家康たちが変装して、一向宗の門徒が集まる本證寺(愛知県安城市野寺町)に潜入するという意外な展開もありました。

本證寺の寺内町の繁栄ぶりと、歌舞伎俳優の市川右團次さんが演じる空誓上人のカリスマ性が印象に残ったのではないでしょうか。

次回で描かれる一向一揆は、「三方原の戦い」と「伊賀越え」と並ぶ、家康の三大危難の一つですので、どんなドラマが繰り広げられるのか、楽しみですね。

そこで今回は家康の改名と、空誓を取り上げたいと思います。

「康」の字は祖父からとった?

まずは、家康のこれまでの名を振り返ってみましょう。

家康の幼名は「竹千代」でした。
天文24年3月(1555 10月に弘治に改元)、14歳のとき、家康は駿府で元服しました(『松平記』)。

そのとき、野村萬斎さんが演じた今川義元から「元」の字を与えられ、実名を「元信」と名乗ることになりました。

ちなみに、義元が「義」ではなく、「元」の字を与えたのには理由があります。「義」は義元が、室町幕府十二代将軍足利義晴から授与された字のため、臣下に与えることはできなかったのです(柴裕之『青年家康』)。

その後、時期は定かではありませんが、家康は永禄元年(1558)7月までに、実名を元信から「元康」へと改めています。

家康は勇将の誉れ高き祖父・松平清康にちなんで「康」の字を選んだといわれます。祖父の勇名に憧れたのでしょうか。

そして、永禄元年(1563)年6月から10月の間に、私たちにも馴染み深い、家康へと改名するのです。

家康の「家」の字の由来は?

家康の「家」の一字は、ドラマでは「三河を一つの家」が由来でしたが、本当はどうたったのでしょうか。

実のところ、はっきりしたことはわかっていません。
ですが、ドラマでも描かれていたように、八幡太郎の通称で知られる源義家の「家」からとったとする説もあります。

源義家は平安時代後期の武将で、清和源氏の本流の祖といわれます。前九年合戦で活躍し、後三年合戦では内紛を平定。「天下第一の武勇の士」と称され、東国に源氏の基盤を築いたとされる人物です。

家康は清和源氏の子孫を自認していた(黒田基樹『家康の正妻 築山殿』)といいますので、偉大なご先祖様から「家」の字を拝領したのかもしれません。

いずれにせよ、家康は改名しました。
元康から家康への改名は、今川義元から拝領した「元」の字を捨てることあり、今川家と完全に決別し、今川家と戦い抜くという意思表明でしょう。
そんな家康に襲いかかったのが、三河一向一揆です。

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