重度知的障がいの息子と暮らす多良久美子さん・81歳「困難を丸ごと受け止めたら勇気と元気が湧いてきました」
障がいのある息子を抱え、私は私の道を行く
多良さんは24歳で結婚し、2年後に長男が、その2年後には長女が生まれた。息子は利発で、幼稚園に入る前に文字を覚え始めた。しかし入園を控えたある日、麻疹にかかり、重い脳症を患う。奇跡的に命は助かったものの、4カ月の入院を経ても知能は戻らなかった。
「近所の子たちが幼稚園に通う姿を見るのがつらくて……。それまで住んでいた土地を離れて、今の家に引っ越しました。何事も逃げずに向き合ってきた私ですが、このときばかりは逃げる道を選びました」
夫の両親も、慣れ親しんだ地元を離れて同居してくれた。家族が支え合って、障がいを負った息子を支える日々が始まった。
「最初の頃は、どうすれば息子が元に戻るのか、こういう病院に行けば治るんじゃないか、そんな希望が捨てられなかったんです。でもあるとき、私の母親代わりだった4番目の姉に『この子は福祉の世界で育てなさい』と言われてハッとしました。息子の障がいを認めることが、自分にとっての新しいスタートなのだと気づかされたんです。不思議ですね、そう思ったとたん、『この子を抱えて、私は私の道を行くぞ!』っていう勇気と元気が湧いてきました」
地元の「障がい児・者の親の会(親の会)」に入会し、同じ悩みをもつ親たちとの交流が始まると、「つらいのは私だけじゃない」と気づかされた。前向きに生きる仲間たちに、何度も励まされた。
しかし多良さんのすごいところは、励まされるだけではなかったことだ。当時は養護学校の数も少なく、息子の学校には往復2時間かけて送迎しなくてはならなかった。ましてや成人した障がい者が入れる施設など、見当たらない。「地元の福祉のレベルを上げていきたい」という思いが、胸の内に膨らんだ。
「『親の会』のメンバーで集まって研究会をしたり、親の希望を行政に訴える方法を検討したりしました。代表者を議会に送り、その議席を確保することにも尽力し、自治体の福祉計画の作成に参画したこともあります。当事者の声が届く環境をつくりたいと思って頑張ってきましたが、この50年で障がい者へのサポート体制は、よい方向に変わってきました。やってきたことは間違いではなかったと信じています」
70代まで地域福祉の最前線で活動してきた多良さん。60代以降は、社会福祉協議会(社協)のピアサポーターとして障がいのある当事者や家族の相談に乗り、生活支援員として障がい者や高齢者の生活や金銭管理の手助けもしてきた。
「息子が障がいを負ったのはつらいことでしたが、そこから多くの人とつながり、役割が生まれ、私の生活に組み込まれていきました。活動すべてが楽しくて、心を弾ませて毎日を過ごしてきたと思います」
【後編に続く】
※この記事は「ゆうゆう」2024年6月号(主婦の友社)の内容をWEB掲載のために再編集しています。
撮影/林 ひろし 取材・文/神 素子
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