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「光る君へ」平安貴族の結婚事情をひも解く。夫婦別姓・財産も別々?!令和より先をいくその実態とは?

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鷹橋 忍

披露宴に夫の家族は参加しない

結婚式は、ふつう三日間続きました。

一日目は、男性が夜に行列で女性の邸宅に赴き、初夜を過ごします。
男性はまだ暗いうちに自邸に戻ると、後朝の文(和歌)を女性に送りました。

二日目も、おおよそ同じ事を繰り返します。

三日目を迎えると、女性方で用意した餅が枕元に置かれ、二人で食べます。

これを「三日夜餅(みかよのもち)」といい、男性が女性のもとに三日間通い、三日夜餅を二人で食べることが正式な結婚だったといいます(服藤早苗 東海林亜矢子『紫式部を創った王朝人たち――家族、主・同僚、ライバル』所収 服藤早苗「第六章 夫藤原宣孝――異彩を放つ夫」)。

その後、あるいは後日に、妻となった女性の両親が費用を負担し、露顕(ところあらわし)という、現代でいう披露宴が催されます。

ですが、現代の披露宴と違い、露顕には妻の父母や親族が参加しますが、夫となった男性の父母や親族が参加することはありませんでした。

こうして結婚が成立し、その日から、夫は妻の邸宅に通うか、同居するようになります。

夫の両親との同居はなし

一般的に婿取婚では、結婚当初は一定期間、妻方の邸宅で妻の両親と同居したのち、別居することが多かったといいます(服藤早苗『平安朝の母と子』)。

道長も土御門第で、妻・源倫子の両親と同居していましたが、のちに倫子の両親が一条殿に移り住んでいます。

夫婦が別の邸宅に移住する場合、夫の父母から家屋の提供をされることも多かったとされますが、夫の両親と同居することはありませんでした。

平安中期頃は、同居どころか、妻は夫の両親と顔を合わせることはほとんどなかったといいます(服藤早苗 東海林亜矢子『紫式部を創った王朝人たち――家族、主・同僚、ライバル』所収 服藤早苗「第六章 夫藤原宣孝――異彩を放つ夫」)。

平安中期には、嫁姑が諍うこともなかったのかもしれません。
現代とは、だいぶ違う結婚と慣習ですね。

紫式部が佐々木蔵之介さんが演じる藤原宣孝と結婚したのは26歳前後という、当時として遅い初婚年齢でした。

婚期が遅れた理由は、紫式部が当時の適齢期であったときに、岸谷五朗さんが演じる父の藤原為時が無官であり、定まった収入もなく、婿取されても経済的および政治的な後見が望めないため、婿のなり手がいなかったと考えられています(倉本一宏『紫式部と藤原道長』)。

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