【光る君へ】夫がありながら、藤原道長(柄本佑)と一夜をともにした紫式部(吉高由里子)。その年の暮れに出産したのは、何と道長の子!
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志賀佳織
2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」。『源氏物語』の作者・紫式部のベールに包まれた生涯を、人気脚本家・大石静がどう描くのか? ここでは、ストーリー展開が楽しみな本ドラマのレビューを隔週でお届けします。今回は、第27回「宿縁の命」と第28回「一帝二后」です。
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【光る君へ】新婚生活がスタートするも藤原宣孝(佐々木蔵之介)の足は紫式部(吉高由里子)から遠のき…。思わぬ場所で藤原信長(柄本佑)との再会も
7月7日は都知事選の報道番組が組まれたために、1回休みとなった大河ドラマの放送。やはり全国から抗議が殺到したという。当然だろう。首都とはいえ東京以外に住む人たちにとっては何の関係もないことだ。しかも、前回の終わり方が「ああ、どうしてここで!」と思ってしまうような場面だっただけに、一層次回が待ち遠しい人たちが多かったに違いない。
ということで、みんなが我慢して待ちに待ってようやく迎えた7月14日の第27回「宿縁の命」は、その期待に違わず、のっけから、「えー、そう来る?」というようなドラマティックな展開で始まったのだった。
家の者たちと石山寺を訪れていたまひろ(後の紫式部/吉高由里子)は、あろうことか、偶然、藤原道長(柄本佑)と再会してしまう。互いの境遇が変わりすぎてしまったためか、久しぶりに庭を散策しても、ぎこちなくてなかなか会話も続かない。しかし、それでも道長は、会えなかった期間のまひろの様子も心の中も、まるで一緒に過ごしてきたかのように読み取ってしまい、まひろを驚かせる。
まひろは、そろそろ皆のもとに帰らねばならないと言って「お目にかかれてうれしゅうございました。お健やかに」と別れを告げる。道長も「お前もな」と答え、去りかける……も、何と走り寄ってきて、まひろを抱きしめるではないか!(テレビの前でキャー!と言う人たちの声が聞こえてきそう) ラブロマンスとしての醍醐味をちゃんと盛り込んで、「お約束」を外さず、ひとときまた平安の雅な世界、のちの『源氏物語』の世界に視聴者を引き込んでいくこの演出が花マルである。
そして一夜をともにした二人。道長は再びまひろに尋ねる「今一度……俺のそばで生きることを考えぬか」。しかし、一瞬思いを巡らした後、まひろは「お気持ち、うれしゅうございます。でも……」と答えるのだった。「俺はまた振られたのか」という道長の台詞がなんとも切ない。
3月になると、安倍晴明(はるあきら/ユースケ・サンタマリア)が予言したように、藤原定子(さだこ/高畑充希)が再び懐妊した。無邪気に喜び、定子のもとを訪れる一条天皇(塩野瑛久)だったが、定子は自責の念に堪えない。
それを聞いた道長の妻・源倫子(ともこ/黒木華)は、入内が決まっている娘・彰子(あきこ/見上愛)に一条天皇の気持ちを惹きつけるような雰囲気を身に着けさせようと必死だ。赤染衛門(あかぞめえもん/凰稀かなめ)に明るさ、華やかさ、艶を身に着けさせよと命じるが、おとなしい彰子の反応は今ひとつだ。せめて「明るく声を出して笑ってほしい」と、声を出させようとするが、のれんに腕押しという感じである。
一方、まひろのもとには、久しぶりに夫・藤原宣孝(のぶたか/佐々木蔵之介)が訪ねてくる。夜になると夫の土産の奈良の墨をすって、まひろは筆を取る。「殿の癖。いつも顎を上げて話す。お酒を飲んで寝ると、ときどき息が止まる」。すると、現代でいうところの「睡眠時無呼吸症候群」なのか、就寝中の宣孝の息が一瞬止まる様子が映し出されて、思わず笑ってしまう。まひろとの年の差は20歳ほどだと伝えられているが、こんな細かい描写にまたクスッと笑わされる。
しばらく時が経ち、ある日体調の優れないまひろに、いと(信川清順)は、「それは病ではございませんよ。ご懐妊でございます」と告げる。「ということは、お生まれは師走の頃にございますね。お方さまのおっしゃることが正しければ、授かったのは2月でございますね。殿様のお足が遠退いたころのご懐妊ということでございますね」
みるみる表情が固くなっていくまひろ。いとは慌ててこう言うのだった。「このことは殿様には黙っていましょう。黙ったまま行けるところまで行くのでございますよ」
次に宣孝がやってきたとき、まひろはそのことを告げる。手放しで喜ぶ宣孝だったが、まひろは悩む。「よく気の回るこの人が、気づいていないわけがない。気づいていてあえて黙っている夫に『これはあなたの子ではない』というのは、あまりにも無礼すぎる。さりとてこのまま黙っているのもさらに罪深い」
思い悩んだ末に、夜半、目覚めた宣孝にまひろはこう告げる。「殿、お別れしとうございます」。しかし宣孝はこうなだめる。「そなたの産む子は誰の子であってもわしの子だ。わしのお前への思いはそんなことでは揺るぎはせぬ。何が起きようともお前を失うよりはよい。持ちつ持たれつだ。別れるなどと二度と申すな」
「脂ぎってイヤ」だの、「不実で許せない」だの、私の周囲の宣孝評は総じて手厳しい。しかし、こういう言葉を聞くと、その心の広さ、伊達に年齢を重ねていないという大きさを感じずにはいられない。たとえそこに多少したたかな損得勘定が働いていたとしても、いいではないかという気になってくる。
11月1日に彰子は入内し、7日には定子が皇子を産んだ。一条天皇の母である藤原詮子(あきこ/吉田羊)は天皇のもとを訪ね、皇子の誕生を祝った。いつものとおり「皇子はお上のように優れた男子に育っていただかねばなりません」と教え諭すような母の口調に、一条天皇は珍しく反発し、「朕は、皇子が私のようになることを望みませぬ」と言い放つ。自分は母の操り人形であったとまで言った天皇は、その場に詮子を残して立ち去った。
愕然とし、滂沱(ぼうだ)の涙を流す詮子。考えてみれば、この人も可哀想である。父・藤原兼家の政争の道具とされ、嫁いだ先の円融天皇には愛されず、兄・道隆にも立場を追われ、そして今、溺愛した息子にまで裏切られたのだ。この時代の女性の立場はまだまだ自身ひとりの意思や力ではどうすることもできない。一見華やかな宮廷絵巻が眩しければ眩しいほど、また影も濃い。
このところ体調が優れないという道長に、安倍晴明は「皇后の座に定子様を入れたてまつり、そして彰子様が中宮になられれば、皆もひれ伏しましょう」と助言する。しかしそうなると、一人の帝に二人の后がいることになる。これは前例のないことだ。しかし晴明は「一帝二后(いっていにこう)」にすることにより、彰子の力も強まり、道長の体調も上向くと言うのである。
まひろはその年の暮れに女の子を無事産んだ。