【光る君へ】紫式部(吉高由里子)の旅立ち、藤原道長(柄本佑)の出家など波乱の展開。周明(松下洸平)と20年ぶりに再会するも、果たして二人は?
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志賀佳織
2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」。『源氏物語』の作者・紫式部のベールに包まれた生涯を、人気脚本家・大石静がどう描くのか? ここでは、ストーリー展開が楽しみな本ドラマのレビューを隔週でお届けします。今回は、第45回 「はばたき」と第46回「刀伊(とい)の入寇(にゅうこう)」です。
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2024年NHK大河ドラマ「光る君へ」レビュー
いよいよ物語も大詰め。残すところあと2回の放送を数えるのみとなった。前回、第44回の最後で、あの有名な歌「このよをば わがよとぞおもふ もちづきの かけたることも なしと思へば」を披露した左大臣・藤原道長(柄本佑)は、まさに栄華の頂点を極めた形となったが、果たしてこの歌の真意とは何だったのだろう。そして、それを見届けたまひろ(紫〈藤〉式部/吉高由里子)の今後の生き方は……? 続く第45回、第46回はまさにそんな二人の生き方をさらに追う物語となっている。
第45回 「はばたき」
宴で道長の歌に唱和した四納言も、その道長の真意を測りかねていた。栄華を極めたその満ち足りた心情を謳ったものだろうとする源俊賢(としかた/本田大輔)に対し、「道長は皆の前でおごった歌を披露するような人となりではない」とする藤原公任(きんとう/町田啓太)と藤原行成(ゆきなり/渡辺大知)のような意見もあった。果たして本当はどうだったのだろう。
このドラマの道長を見る限り、「おごり」とは程遠い気もするが、「月」はこの物語全編を通じての、とても大事なモチーフにもなっている。道長とまひろの逢瀬は、いつも月明かりに守られていたし、会うことがままならない日は、互いに同じ月を見上げる場面がたびたび登場した。何をもって道長は「もちづき」としたのか、筆者はあえて、それは「まひろとの若き日の約束」と捉えたい気がする。その初心は何ら揺らぐことがなくここまで来た、自らは自らの望む「世」を追い求めてきた、そんな意味に解釈したいと思うのは少し道長びいきが過ぎるだろうか。
時は流れ、世は移り変わる。道長によって東宮への道を奪われた敦康(あつやす)親王(片岡千之助)は、21歳の若さで急逝し、摂政・藤原頼通(よりみち/渡邊圭祐)はまだまだ不安定ながら政の荒海に乗り出した。しかし、もっとも頼るべきはずの左大臣、右大臣がそろって叙位の儀に欠席するという嫌がらせをするなど、まだまだ道は険しい。泣き言を言ってくる息子に父・道長は「嫌がらせなどには屈せぬ姿を見せよ」と厳しく応じる。
一方、その頃、まひろの娘・藤原賢子(かたこ/南沙良)は、「宮仕えがしたい」と母に申し出る。「夫を持ちたいとは全く思わないし、21にもなって、母上を頼りに生きているのもなんだか情けないゆえ、働こうと思うのです」
後の武家の娘に比べると、この時代の女性はかえって男に劣らない社会的地位を選ぶ生き方もできたのかと、このまひろたちの生き方を見ていると思わせられる。もちろん政略結婚に抗えない道長の娘たちのようなケースも少なくないが、それでも女性は何だか生き生きしていていい。
娘のそんな決意を受けて、まひろもある決心をする。旅に出るというのだ。『源氏の物語』に登場した須磨(すま)、明石(あかし)や、夫・藤原宣孝(のぶたか/佐々木蔵之介)の赴任地であった太宰府(だざいふ)、そして、心を通わせた友・さわ(野村麻純)の最期の地である松浦(まつら)も訪れたいと、娘と父・藤原為時(ためとき/岸谷五朗)にも告げる。
まひろは、賢子を太皇太后(たいこうたいごう)・彰子(あきこ/見上愛)に引き合わせたあと、道長とその妻・源倫子(ともこ/黒木華)のもとを訪れ挨拶をする。そして、自らは旅に出るということも報告する。挨拶の後、まひろは賢子を自身の局に連れていき、『源氏の物語』とその続編『宇治の物語』の原稿を託す。そこへ、道長が訪れる。まひろは賢子を先に家に返して、道長と二人で話をすることに。
「行かないでくれ」と哀願する道長だったが、まひろはきっぱりとこう答える。「これ以上、手に入らぬお方のそばにいる意味は、何なのでございましょう」。そしてついに、こう告げたのだ。「道長様にはどんなに感謝申し上げてもしきれないと思っております。されど、ここらで違う人生も歩んでみたくなったのでございます。私は去りますが、賢子がおります。賢子はあなた様の子でございます」。驚愕する道長。「お前とはもう会えぬのか」とうろたえる道長に対し、まひろは決然とこう答えるのだった。「会えたとしても、これで終わりでございます」
カッコよすぎる。まひろは、いつどこで決意したのだろう。いつこの心境に至ったのだろう。おそらく、それも前回の道長の歌がきっかけなのではないだろうか。宴であの歌を披露する道長、キャリアの頂点に立った道長を「見届けて」、まひろの何かもひとつ終わったのかもしれないと思わせる場面だった。それにしても女性は決めると早い。
乙丸(おとまる/矢部太郎)を供につけて旅立ったまひろは、まず須磨を訪れる。何かから解き放たれたように浜辺を駆け出すまひろ。空が晴れ渡っているのではなく、曇り空なのがまたいい。晴れていたら出来過ぎの感があるが、灰色の空の下を、それでも笑顔で全力疾走するまひろに、見る者はまたともに「新たな希望」を重ねることができそうな気がしてきた。
土御門殿に出仕した賢子は「越後弁(えちごのべん)」という名を与えられた。そんな賢子を道長は遠目に見守る。その道長は、ある日、倫子に「出家いたす」と突然告げる。「頼通が独り立ちするためにも、そのほうがよいと思う。体も衰えた。休みたい」と言う道長に、倫子は強硬に反対する。「お休みになりたければ、私のもとで、現世でお休みくださいませ」。しかし気持ちは変わらないとする道長に、倫子はついにこう問い質す。「藤式部がいなくなったからですの?」 道長はふっと笑い、「何を言っておる」とあしらうのだった。
寛仁三(1019)年3月、道長は出家した。倫子は、まひろに断られた「道長の栄華を物語にして書き記してほしい」という願いを、赤染衛門(あかぞめえもん/凰稀かなめ)に改めて依頼し、快諾を得る。
道長は四納言に「今後は頼通を支えてほしい」と頼むが、その頼通は相変わらず事あるごとに父を頼ってくる始末だ。「左大臣に辞めてほしいのだが、どうすればよいか」と相談してくる息子に、道長は「公卿(くぎょう)たちの前で左大臣を難じよ」と命じる。躊躇する頼通を道長は一喝する。「それが政だ。そのくらいできねば、何もできぬ。お前は摂政だぞ、肝を据えろ」