【光る君へ】紫式部(吉高由里子)は病に倒れた藤原道長(柄本佑)と新たな約束をかわし「宇治十帖」の執筆をスタート
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志賀佳織
2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」。『源氏物語』の作者・紫式部のベールに包まれた生涯を、人気脚本家・大石静がどう描くのか? ここでは、ストーリー展開が楽しみな本ドラマのレビューを隔週でお届けします。今回は、第41回 「揺らぎ」と第42回「川辺の誓い」です。
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2024年NHK大河ドラマ「光る君へ」レビュー
日本史の授業で学ぶ藤原道長は、摂関政治を象徴する人物で、自身の娘を次々と天皇に入内させてはその間に生まれた幼い皇子を即位させ、実権を握っていく権力者として印象づけられることが多い。しかし、この『光る君へ』で描かれる道長(柄本佑)は、民のための政を実現できる立場に立ちたいと、その一心で出世階段を上っていくように描かれている。しかもその、「民のための政」を実現してほしいと願ったのは、生涯をかけて愛し合ったまひろ(紫式部/吉高由里子)ということになっている。
実際、道長と紫式部の間柄がどうだったのか、道長の本心がどこにあったのかは、今となっては知るよしもないが、権力を手にすればするほど、孤独になり、悩みや迷いは深くなっていくのだろうことは、今回の第41回「揺らぎ」と第42回「川辺の誓い」を見ると、想像に難くない。
前回、まひろの娘・藤原賢子(かたこ/南沙良)を盗賊から救ってくれた双寿丸(そうじゅまる/伊藤健太郎)が屋敷の中にいるのを見て驚いたまひろだったが、経緯を知って礼を言う。この怪しげな人物を、いと(信川清順)は「姫様はお前が親しくするような女子とは身分が違う」と追い払おうとするが、双寿丸は「姫様って面(つら)でもないよな」と笑って取り合わない。そんな無礼な物言いにも、当の賢子は笑って楽しそうである。
その夜、まひろは「お前はあのような武者にも優しいのね。あのように言われて怒ることもなく」と言うと、意外にも賢子は「私は怒るのが嫌いなの」と言う。まひろにはあれだけ反抗を重ねた賢子の言葉を、まひろは驚きながらも優しく受け止めた。
皇位を継承した三条天皇(木村達哉)は、藤原公任(きんとう/町田啓太)に、内裏へ移るよう命じる。「前の帝に重んじられた者は遠ざけたいとお考えのように見えるが」と漏らす公任に、道長は「ならば、振り回されぬようにやってまいろう」と受け流す。しかしながら、三条天皇は、内裏に移るに際し、道長の兄の藤原道綱(みちつな/上地雄輔)、甥の藤原隆家(たかいえ/竜星涼)、五男の藤原教通(のりみち/姫子松柾)を側近に選ぶ。道長と長男・藤原頼通(よりみち/渡邊圭祐)は遠ざけられた形だ。納得がいかない頼通に道長は「お前が先頭に立つのは、東宮様が帝になられるときだ」と諭す。
また、出世への不安は、頼通たちの異母兄弟、源明子(あきこ/瀧内公美)の息子である藤原頼宗(よりむね/上村海成)や藤原顕信(あきのぶ/百瀬朔)の胸中もざわつかせていた。顕信は父・道長に、自分や兄はいつ公卿(くぎょう)になれるのかを尋ねる。「土御門殿の頼通様は、すでに正二位の権中納言。納得がゆきませぬ」と言う顕信に、明子は「父上は、そなたたちのことを、ちゃんとお考えくださっていますよ」となだめる。
しかし、三条天皇はあの手この手で、道長の権力を押し留めようと策をしかけてくる。道長に関白として自分を支えよと命じてきたのだ。道長が辞退すると、「泣く泣く諦めるといたそう。その代わり、朕の願いを一つ聞け。娍子(すけこ/朝倉あき)を女御とする。妍子(きよこ、道長の次女/倉沢杏菜)も女御とする」と返してきた。無位で後ろ盾もない藤原娍子が女御となることはできないので、道長は反対するも、三条天皇は聞き入れない。
道長はまひろの局を訪ねる。「光る君と紫の上はどうなるのだ」と尋ねる道長。「紫の上は死にました」とまひろ。「誰もかれもいずれは黄泉路へ旅立つと思えば、早めに終わってしまったほうが楽だと思うこともございます。道長様はそういうことはございません?」それに対し道長は「今はまだ死ねぬ」と答える。
少し考えたまひろはこう切り返す。「道理を飛び越えて敦成(あつひら)様を東宮に立てられたのは、なぜでございますか。より強い力をお持ちになろうとされたのは」。これに対し、道長もきっぱりとこう答える。「お前との約束を果たすためだ。やり方が強引だったことは承知しておる。されど俺は常にお前との約束を胸に生きてきた。今もそうだ。そのことはお前にだけは伝わっておると思っておる。これからも中宮様を支えてやってくれ」
ますます、道長の心を支えるのはまひろ一人になっていく様子がわかる。周りから理解されないまま突っ走る道長に、きちんとものを言えるのもまひろしかいない。恋から始まった二人の関係は、もはや人間同士として全幅の信頼を置くまでになっているのが感じられて、何とも感慨深い場面だった。
ある日、中宮・藤原彰子(あきこ/見上愛)は、藤壺で和歌の会を開く。赤染衛門(あかぞめのえもん/凰稀かなめ)、あかね(和泉式部/泉里香)、頼通、頼宗、まひろらが集まり歌を読んでいるところへ、突如、ききょう(清少納言/ファーストサマーウイカ)がやってくる。
「お楽しみの最中にとんだお邪魔をいたします。敦康(あつやす)親王(片岡千之助)様から中宮様へお届け物がございまして参上いたしました」と言って椿餅(つばきもち)を持参する。「亡き院も皇后様もお好きであられました。敦康様も近頃この椿餅がお気に召して、中宮様にもお届けしたいと仰せになられまして」と言うききょうに、彰子は「敦康様はお健やかか」と穏やかに尋ねる。
すると、ききょうは表情をきつくして、「もう敦康様のことは過ぎたことにおなりなのでございますね。このようにお楽しそうにお過ごしのこととは、思いもよらぬことでございました」と語気を強める。さらに「ご安心くださいませ。敦康親王様には、脩子(ながこ)内親王(海津雪乃)様と私もついております。たとえお忘れになられても大丈夫でございます」と嫌味を言い残して去っていった。
「清少納言は得意げな顔をした酷い方になってしまった」と呟き、月を見上げるまひろ。同じ月を道長も眺めていた。
その頃、十二月の除目を前に三条天皇が、娍子の弟である藤原通任(みちとう/古舘佑太郎)を参議に任じると道長に告げる。その経験から道長は早すぎると反対するが、天皇は聞き入れない。そして、通任が参議になれば蔵人頭(くろうどのとう)の席が空くので、道長と源明子の息子・顕信を蔵人頭にしてやると提案してきた。しかし、三条天皇に借りを作りたくない道長は、時期尚早だとしてこれを断るのであった。
後日、この件を知った当の顕信は納得せず、「私はいなくてもよい息子なのでございますね」と父に食ってかかる。母である明子も、「帝との力争いに、この子を巻き込んだあなたを、私は決して許しませぬ!」と道長にその憤りをぶつけた。
明けて長和元(1012)年正月、比叡山の僧・慶命(きょうみょう)が火急の用だと道長のもとを訪れた。いわく、「藤原顕信様、本日ご出家であそばしてございます」。道長は驚愕、言葉を失うのだった。
三条天皇の世になったことで、少しずつ道長を取り巻く歯車が狂い始めてくる。道長の本意は周囲には理解されず、ただ「ひどい」と責められ孤立していく。何のための政なのかを「おまえにだけは伝わっておると思っておる」とまひろに言う道長の孤独が何とも切ない。