【べらぼう】安田顕が演じるユニークな「平賀源内」って、何をした人?
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鷹橋 忍
蔦重に頼まれ、吉原細見に序文を書く
人気作家となった源内は明和元年(1764)、37歳の時に武蔵国秩父郡の両神山(りょうかみさん)で当時は極めて貴重だった石綿(アスベスト)を発見。これを用いて火浣布(かかんぷ/耐火織物)を作り幕府に献上していますが、事業には発展しなかったようです。その後、金山採掘に着手しますが、失敗に終わり経済的に打撃を受けます。
明和6年(1769)には、歯磨き粉「嗽石香(そうせきこう)」の引き札(広告チラシ)を依頼され、宣伝文句を考えています。ドラマでも取り上げましたね。源内はコピーライターとしての才もあったようです。
明和7年(1770)10月には、二度目の長崎遊学をしています。遊学後、今度は鉱山の開発事業に取り組みますが、安永3年(1774)には撤退に追い込まれてしまいました。この年、源内はドラマでも描かれたように、蔦屋重三郎が「改め役」を務めた吉原の案内書『細見嗚呼御江戸』の序文を書いています(筆名は福内鬼外)。蔦重は25歳、源内は47歳になっていました。
エレキテルの復元に成功するも…
源内は二度目の長崎遊学の際に、激しく破損したエレキテル(摩擦起電器)を入手したと考えられています。エレキテルの修理に取り組んだ源内は、安永5年(1776)11月、復元に成功しています。日本ではじめてのことでした。
源内はエレキテルを見世物にし、それは大人気となります。源内の名も一躍、全国に轟きました。宮沢氷魚さんが演じる田沼意知(おきとも/田沼意次の子)も、エレキテルを見たといいます。ですが、やがてエレキテルは飽きられてしまい、本来の電気治療の療法としても広まらず、源内の生活はすさんでいきます。
エレキテルの復元の成功から3年後の安永8年(1779)11月21日、衝撃的な事件が勃発しました。源内が神田橋本町の居宅において、殺傷事件を起こしたのです。
小伝馬町の牢に入った源内は、同年12月18日、破傷風のため、獄中にて52歳でこの世を去っています。事件については不明な点が多く、真相はわかっていません。ドラマでは真相が描かれるでしょうか。
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