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人生後半戦の『ターニングポイント』を前向きに!

20年前に昼ドラ主演を務めた女優の半生がスゴすぎた「彼も仕事も一気に失いました…」一転これがチャンスに?!【六車奈々さんのターニングポイント#1】

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皆川知子

パートナーも仕事も一気に失い、凹みに凹んだ後は…

さすがにこの時は落ち込んだし泣きました。でも私は切り替えが早いんです。
1日中泣いた翌日に「ちょっと待てよ。これはチャンスかもしれない!」と思ったんです。それまでの私は心の中では「女優がやりたい」と思っていたものの、現実はバラエティやレポーターのレギュラー番組でいっぱいで、女優業にあてる時間なんてまったくありませんでした。それが無職同然になった今ならできるんじゃないかと。

それで、当時の事務所に「まとまった時間ができました。ドラマのオーディションはありませんか?」と聞いたところ、ちょうど東京で昼ドラのオーディションの受付をしていることがわかり、すぐに申し込みました。
そのままあれよあれよという間にオーディションに受かって、TBSの昼ドラ「病院へ行こう」の主役が決定。すぐさま東京へ引っ越しました。

32歳で昼ドラ主演!どん底からまさかの逆転劇!

主役だった昼ドラが終了後、再び仕事の少ない日々に……

―レギュラー週1から一転、人気の昼ドラの主役ですか!
はい。私のキャラクターが役柄に合っていたみたいでラッキーでした。
私としては「これで私も女優ね」なぁんて思っていたのですが、現実はそんなに甘くありませんでした。昼ドラが終わった後、次の仕事がなかなか決まりませんでした。一度主役をつとめた俳優としては、脇役の仕事は受けにくくなってしまうという慣習が当時はあったような気がします。もちろん内容や条件にもよりますが。
そうして再び無職同然の生活に戻ってしまいました。それが32歳の時です。

―収入面では困らなかったんですか。
食べていくことはできていました。なぜかというと、上京する際に、関西に残してきたレギュラーの1つが競馬番組でしたが、これが人気番組だったんですね。そのおかげで全国の競馬イベントや番組からお声がけをいただき、貧乏せずにすみました。
私、競馬番組をするようになって、競馬のことをめちゃくちゃ勉強したんです。ニコニコ笑っているだけのアシスタントやお飾り的存在になるのが嫌だったので。番組から離れた今でも競馬のイベントや予想番組に呼んでいただいています。

そこから大竹まことさんとのラジオが始まったり、テレビショッピングの仕事をするようになり、女優とは違う形にはなりましたが、仕事が少しずつ増えてきました。

競馬の仕事があったおかげで食べていけました。

―女優以外の仕事をすることに抵抗はなかったんですか?
全然ありませんでした! むしろ、いただける仕事ひとつひとつがありがたかったですね。
ある時知り合いの女優さんに「女優1本で食べていける人というのはほとんどいない。六車さんが今食べていけているのは、ラジオとか競馬とかいろいろなことをやっているからだよ」と言われたことがありました。
たしかにそうだな、と。私は女優の他にテレビ、ラジオ、モデル、司会業など、できることがたくさんあります。いろいろなことをさせていただく中で自然とついたスキルではありますが、このスキルのおかげで、大金持ちとまではいかずとも、自分一人が食べていくには困らない生活を送ることができていました。

読売テレビ「ビートップス」レギュラー出演のおかげで、TVショッピングのトークスキルを学びました(真ん中はおぐねぇーさん、右は島田律子さん)

六車奈々さんのターニングポイント①
「彼も仕事も失いました。でも、この空白を『これはチャンスかもしれない』ととらえ次のステップへと動いたことで次の道が開けたのです」

〈六車さん着用〉ブルーセットアップ 13,800円(税込)/Wild Lily ピアス 2,750円(税込)/Vanille
〈問い合わせ先〉Wild Lily (03-3461-4887) Vanille https://minne.com/@vanille1202

撮影/廣江雅美
スタイリング/山崎由佳
ヘア&メイク/結城小百合
ライティング/皆川知子

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