田原俊彦さんに楽曲提供した作詞・作曲家がすべてを失ったあと、62歳ではじめた意外な仕事とは?
子育てを終え、53歳でショコラティエの道に
子どもが親離れしてさみしさを感じていたとき、友人にお菓子を作ってプレゼントしたら、「売ったらいいのに」と言われた。それがきっかけとなり、フランスのリヨンへ短期留学。このときすでに53歳。
留学後はアメリカで本格的にチョコレート作りを開始。マルシェに出店すると大人気になり、取引先も増えていった。
ところがチョコレートビジネスが軌道に乗ってきたとき、カリフォルニアの山火事で家が全焼。
「深夜だったので、パジャマのままパソコンを抱えて逃げました。避難先でシャワー後に着替えが1枚もないことに気づき、私、何も持っていないんだ、ホームレスより物がないのはすごいなと思ったら笑っちゃって。本当に何もなくなると笑うしかないんですね」
夫とは別居中で、娘は大学在学中だったため、今後のことは日本でゆっくり考えようと一人で帰国。
「長野でワイナリーを経営しているエッセイストの玉村豊男さんが声をかけてくださって、ワイントリュフ作りができました」
10代での留学、20代での作詞・作曲に続き、ここでもまた、向こうから声がかかる。チャンスを引き寄せる不思議な力が夕美子さんにはあるようだ。
その後、いい物件と出合い、東京の奥沢で「世田谷トリュフ」を開店。61歳ですべてを失ったが、62歳で新スタートを切った。
撮影/中村彰男
取材・文/岩淵美樹
※この記事は「ゆうゆう」2025年6月号(主婦の友社)の内容をWEB掲載のために再編集しています。
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