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ザ・タイガース誕生秘話。「あそこで3人が出会わなければ…」【79歳・森本太郎さんのターニングポイント#1】

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藤岡眞澄

「ファニーズ」があのとき優勝したカラクリは!?

——間もなくボーカルとして沢田研二さんが加わって、「ファニーズ」として活動を始めますね。

僕らは「ベンチャーズ」に憧れたところからスタートしたから、インストゥルメンタルでボーカルは要らないんです。ところが、「ローリング・ストーンズ」や「ビートルズ」が出てきて、「これからは歌を歌わなきゃいけないんだ」「歌う人を探さなきゃ」ということになった。

それで、「田園」で他のバンドにいた沢田を僕とサリーが誘ったわけです。

あとで沢田に「何でファニーズに入ったの?」と聞いたことがあるんです。そうしたら、「他のバンドは年寄りが多いから…」とか言っていたな。確かに僕らは全員、まだ10代で若かったんですね。まあ、他にも理由はあったんだろうけれど。

沢田が加入して歌が入ったことで、確かにバンドの空気が変わりました。プロになろう、という気持ちが固まったような気がします。

——「ファニーズ」が注目を集める一つのきっかけが、1966年に開催された「全関西ロックフェスティバル」で優勝したことだと思います。沢田さんはコンサートのМCで「ルックスで受かりました」と冗談まじりに話されていますが……。

「ローリング・ストーンズ」の『サティスファクション』を演奏したんですけれど。僕はマネジャーが裏から手を回して優勝させたんじゃないかと思っているんです(笑)。だって、優勝するだけのテクニックがあるわけないですから。

僕は高校で軽音楽部に入ってリードギターを担当したり、トッポもギターを弾いていたらしいけれど、ドラムの瞳もベースのサリーも全然楽器に触ったことがなかった。それが、練習を始めて1年で優勝って……(笑)。

——そんな中、大阪の「ナンバ一番」(戎橋筋にあったジャズ喫茶)での活動が始まります。

京都では「ファニーズ」としてジャズ喫茶に出たり、ダンスパーティーを企画したりしてはいたんです。でも、僕らにとっての本場は大阪なので。大阪の「ナンバ一番」に出られたらいいな、と思っていました。

なぜ「ナンバ一番」がいいのかと言えば、プロの有名な方がいっぱい出ていたんです。たとえば、内田裕也さんがいた「ブルージーンズ」だとか「シャープ・ホークス」とか。

僕らは「プロになるには、プロダクションにスカウトされないとダメだ」と考えていたので、プロダクションとつながりのあるアーティストがたくさん出演している「ナンバ一番」が魅力的でした。

だから、なるべくたくさん出演して、スカウトの目に留まるように、と「ナンバ一番」の近くで合宿生活を始めたんです。

森本太郎さんのターニングポイント①
あの日、河原町で3人がばったり出会わなければ、タイガースは生まれなかったと思う。「同じ北中だよ」と、ピーにサリーを紹介された、時間はたぶん夕方。

撮影/橋本哲

▼次回は、タイガース全盛期の舞台裏について伺います▼

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