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ワンオペ育児・介護・離婚を越えて52歳で独立!「学び直し」が人生を動かしたブランディングスタイリスト・あやみん先生

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依田邦代

「知りたい」という欲求に突き動かされ人生が大きく変わった人がいます。もし学んでいなければ、違う人生だったかも……。学びがもたらした感動的ストーリーを聞きました。

Profile

冨永彩心さん ブランディングスタイリスト

とみなが・あやみ●1967年生まれ。服飾専門学校卒業後、スタイリストとして活動。結婚・出産を機に専業主婦に。販売員として復職したのち、52歳で独立。「あやみん先生」の愛称で「45歳からの生き方をファッションで激変させる専門家」として活躍。開催する講座はまたたく間に満席になる人気ブランディングスタイリスト。

キラキラ人生から一転、ワンオペ育児、介護、離婚…

20代の頃、雑誌『ELLE』『MORE』『MEN'S NON-NO』などのスタイリストとして活躍したあやみん先生こと冨永彩心さん。モデルや芸能人らと仕事をするなど、多忙ながらもキラキラした20代を過ごした。

「母が洋裁をやっていたので、小さい頃から布やミシンが身近にあり、自然と服に興味を持ちました。でも、デザイナーになるだけの才能はないという自覚はあって、中学生のときにスタイリストという仕事を知り、がぜん興味を持ちました」

当時は80年代アイドル全盛期。あやみん先生も聖子ちゃんやたのきんトリオに夢中だった。

「アイドルたちが『SEVENTEEN』などの雑誌に載るときの服をコーディネートするスタイリストという仕事があると友達から聞いたんです。中学1年生のときには、『文化服装学院に行ってスタイリストになる』と将来を決めていました」

念願のスタイリストになった後、31歳で結婚し、32歳で長女を出産。育児と仕事の両立を目指したが、どちらも中途半端になり、35歳のときにスタイリストを廃業。専業主婦になった。43歳からは義母の介護が始まった。ちょうどその頃、子どもの受験や夫の浮気も重なり、精神的にかなり危機的状況に。

そんなあやみん先生は、48歳のときに仕事に復帰した。

「百貨店のセレクトストアでファッションの販売員として働き始めました。夫が家に帰ってこなくなり、子育ても介護もワンオペ状態でしたから、フルタイムの仕事で時間的にもっと余裕がなくなることはわかっていました。でも、当時の状態をずっと続けていたら病んで、うつになると感じたんです。好きな服に携わっている時間だけは自分でいられた。そこにしがみついていないと自分が壊れてしまう感じでした。自分を守るための決死の復職だったのです」

その3年後に義母が亡くなり、葬儀が終わると、夫は完全に家を出ていき、1年後に突然、離婚を切り出された。

「同じ年に実父も亡くなり、子どもは大学に合格。それまでパンパンに張りつめていた気持ちが一気に崩れ、翌年、販売員を辞めました」

「安い服でおしゃれな人」の秘密を知りたい

「スタイリストのときはコーディネートさえすればよかった。着るのはスタイルのいいモデルだし、ヘアメイクさんやカメラマンがプロの技術で仕上げていくので、似合う似合わないに関係なく、素敵な服をコーディネートしさえすれば素敵に仕上がってしまうんです」

ところが接客販売をして、それが間違っていたことに気づく。

「六本木にあるセレクトストアには、全身をグッチやシャネル、ディオール、ルイ・ヴィトンなどで固めた人が来店するわけです。総額一千万円くらいかかっていることはわかるけれど、全然おしゃれでも素敵でもない。逆に感度が高くて、めちゃくちゃ素敵な人に『どこのコートですか?』と聞くとZARAだったりする。ファストファッションの1万円くらいのコートをカッコよく着こなす人の存在は衝撃でした。そして、なぜこの差が生まれるんだろう? 素敵に見える理由は何? という疑問が生まれたんです」

その頃、同僚の一人がカラー診断や骨格診断を学んでいた。そして、そこでは「似合う服」を教えてくれることを知った。

「私も勉強したかったけれど、当時は時間がなくてあきらめました」

介護が終わったときに、それを思い出したあやみん先生。イメージコンサルタントスクールに通い、カラー診断と骨格診断を学び始めた。

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