【どうする家康】戦国の忍びたちの事情。服部半蔵(山田孝之)の初陣は? 本多正信(松山ケンイチ)はいい人だった?
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鷹橋 忍
本多正信は、実はいい人だった⁉︎
同じ本多でも忠勝とは流れが違う
次は、本多正信を見ていきましょう。
正信は、天文7年(1538)に、三河国小川(愛知県安城市)で誕生したとされますが、出生地には諸説あります。
家康より、4歳年上です。
『寛政重修諸家譜』には、祖父の本多正定は松平清康(家康の祖父)に、父の俊正は清康と、飯田基祐さんが演じた松平広忠(家康の父)に、正信は家康に仕えたと記されています。
ドラマとは違い、正信は早い時期から家康に仕えていたのかもしれません。
なお、本多家はいくつかの流れに分れており、同じ本多でも、山田裕貴さんが演じる本多忠勝と正信は、流れが違います。
本当はいい人だった?
いきなり嫌われ者として登場した正信ですが、どのような人物だったと伝わっているのでしょうか。
時代劇などで陰謀をめぐらせるシーンを観ているせいか、意地の悪い印象を抱きがちですが、家康と家臣の間をよくとりもったといいます。
もっと高禄を望めた立場にありながら二万二千石の領主にとどまり、服装も屋敷も質素でした。
実際に謀略を企て、憎まれることもあったかもしれませんが、それも私利私欲でなく、すべては家康のためだったのではないでしょうか。
正信の転機
最後に、もうすぐドラマで描かれるであろう、正信の転機について、お話しましょう。
僅かでもネタバレを回避なさりたい方は、お読みにならないでくださいね。
正信は熱心な一向宗の門徒でした。
永禄6年(1563)、「三河一向一揆」が勃発。一揆勢は、領主である家康と戦うことになりました。
多くの門徒家臣が家康から離れて、一向一揆側につきました。
正信は、どうするのでしょう。