【どうする家康】まっすぐ過ぎて孤立を深めていく石田三成(中村七之助)は、蟄居の当時40歳。家康は58歳
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鷹橋 忍
秀吉の家臣として
秀吉の家臣となった三成ですが、同年代の秀吉の家臣である、淵上泰史さんが演じる加藤清正(永禄5年生まれ)や、深水元基さんが演じる福島正則(永禄4年生まれ)に比べると、武功は目立ちません。
三成は槍働きよりも、外交交渉や兵站、行政の分野で、秀吉を支えました。実務官僚といった感じでしょうか。
秀吉政権下における「太閤検地」、「刀狩り」、「惣無事令」、「海賊禁止令」などの有名な政策や法令は、三成が中心となって推進したとされます。
また、これらのなかには、三成自身が発案したものもあったという見方もされているといいます(谷口克広<石田三成と戦国時代>辣腕ゆえに… 石田三成の立身と破滅 歴史群像デジタルアーカイブス)。
天正13年(1585)、秀吉が関白となると、三成も従五位下治部少輔に叙任されています。
佐和山城
三成が蟄居した佐和山城は、彼の居城です。
佐和山城は近江の要衝で、古くから攻防が繰り返されました。
三成はこの城に天正18年(1590年)に入り、大規模な整備を進めています。
三成の時代には、山上に本丸、二の丸、三の丸、太鼓丸、法華丸などが並んでいたといいます。
慶長5年(1600)9月の関ケ原の合戦に際して、佐和山城には三成の父・石田正継と、兄・石田正澄、義父の宇多頼忠らが籠城しています(菊地浩之『豊臣家臣団の系図』)。
彼らはどうなるのでしょうか。
ドラマの関ケ原の合戦が迫っています。