【虎に翼】桂場(松山ケンイチ)が目指すものとは?大河「平清盛」での孤独な姿が重なって見えてきた
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田幸和歌子
1日の楽しみは、朝ドラから! 数々のドラマコラム執筆を手がけている、エンタメライター田幸和歌子さんに、NHK連続テレビ小説、通称朝ドラの楽しみ方を毎週、語っていただきます。困難な時代に立ち向かう法曹たちの姿を描く「虎に翼」で、より深く、朝ドラの世界へ!
※ネタバレにご注意ください
▼前回はこちら▼【虎に翼】団子の味にもずっと妥協することがなかった桂場(松山ケンイチ)。最終局面でどう動くか
伊藤沙莉主演のNHK連続テレビ小説(通称「朝ドラ」)『虎に翼』の第25週「女の知恵は後へまわる?」が放送された。
前週から描かれる「少年法改正」と「尊属殺」という2つの問題が、まるで攻略至難のラスボスのように大きく立ちはだかる。
そこに裁判所人事への政治介入やブルーパージ問題まで盛り込まれ、テーマ性の強い問題が15分×5話によく詰め込めたと思ってしまうほどのぎゅう詰め感もある。これらは朝ドラという枠で描くには、かなり重めのテーマと言っていいだろう。エンタメ作品としての観点からはふさわしくないかもしれない。しかしそれでもこのドラマを通して世の中に届けておかなければならない、知らせておかなければならない、そんな意志を強く感じる。
まずは少年法改正について。法制審議会少年部会の委員となった寅子だが、少年法を厳罰化に向けての法改正ありきで進む議論に、寅子の苛立ちはつのる。家庭裁判所の発足によって少年事件は家裁に送致される流れが生まれた。しかし、少年による凶悪な犯罪が増加するにつれ、秩序の維持のために検察の力を強める法改正を法務省が求めた。そこを多岐川(滝藤賢一)らは強く反対していた。多岐川亡きあとも、寅子たちの戦いは続く。
いっぽう、朋一(井上祐貴)が、ある日、最高裁から家裁への移動を命じられる。明らかな降格人事だが、朋一ばかりでなく勉強会に参加していた仲間たちも「左遷としか言えない内示が出て」いるという。これが、リベラルな考えをもつ裁判官や弁護士、司法修習生らによる「青年法律家協会」に所属する裁判官への左遷人事を行なった「ブルーパージ事件」である。多岐川が掲げた「愛の裁判所」という言葉が虚しく響く。
桂場のもとを訪れた寅子に、
「俺がすべて指示した」
と桂場はきっぱり言う。
孤高の存在あるべき裁判官にとっては団結や連帯は公正さを失いかねないこととなるという理屈だ。
そこに対して、
「純度の低い正論は響きません」
寅子の言葉が響く。
あの日、穂高(小林薫)に言われた、石を穿つ雨垂れの一滴にすらせず切り捨てるのかと。
「汚い足で踏み入られないために、桂場さんは長官として巌となったんじゃないんですか。あの日話した穂高イズムは、どこに行ったんですか」
桂場と寅子、決裂。そこに「裁判所全体にどんよりした空気が流れてるぞ」と登場したのが、多岐川の幻影だ。
「人手不足が進むなぁ。おまえの掲げている司法の独立っちゅうもんは、随分寂しく、お粗末だな」
この〝イマジナリー多岐川〟こそが、桂場の本心なのであろう。同じくこの〝イマジナリー多岐川〟に勇気をもらうライアン(沢村一樹)と対照的な役割だ。
この「本心」の幻影を振り切るように、
「黙れ!」
と一人叫ぶ桂場。
以前までの桂場に感じられた主人公とは決して馴れ合わないものの、気づけば見守っているような独特の距離感は、昨年の大河ドラマ「どうする家康」で松山が演じた本多正信的な雰囲気があった。
しかし、司法の頂に立つものの、孤独を抱えることになった今の桂場には、松山ケンイチが主役をつとめた同じく大河ドラマ「平清盛」での、清盛が抱えた孤独の姿が重なって見えてくる。
終盤の描かれ方は、扱うテーマとともない、もはや主役級のポジションである。最終的に桂場が目指すものとは何なのか。そして、何かを得て救われることはあるだろうか。桂場の苦悩は続く。