きっかけは「想像を絶する被害を目にしたこと」志穂美悦子さん68歳、第2の人生の基盤となった活動とは?
人生100年時代の、50歳は折り返し地点。そこで「人生二毛作」を実践している俳優・歌手の「志穂美悦子さん」にインタビューしました。第2回目は、夫の長渕剛さんのためでもなく子供のためでもない、自分のために生きるようになったきかっけと日々の活動を振り返っていただきます。
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長渕剛の妻となり芸能界を離脱「専業主婦はもったいない」の声どう受け止めた?【志穂美悦子さん・68歳】
Profile
志穂美悦子(しほみ・えつこ)
●1955年岡山県生まれ。
73年にアクション俳優としてデビュー。85年『二代目はクリスチャン』主演、86年『男はつらいよ 幸福の青い鳥』のマドンナ役などで活躍するが、87年に長渕剛さんと結婚し、芸能活動を休止する。今年6月、シャンソン歌手・鬼無里まりとしてデビュー。
出会った「自由花」そのスタイルが楽しかった!
志穂美さんが、夫のためでも子どものためでもない人生を歩むきっかけになったのは、花との出会いだった。
「友人に誘われて、お花を習いに行ったんです。といってもいわゆる華道ではなく『自由花』というもので、文字どおり自由に生ける様式。でも、自由って実は一番難しいの。どうやって作ってよいか、悩んでいた時に、義父の七回忌にいただいたお花がすばらしかったことを思い出し、その花を創ったアトリエに連絡をし、基礎を習いたくて行きました。2つの方法をミックスしながらオリジナルという自分流に生けるのが楽しくて、毎日キッチンで花を生けては自分で写真を撮り続けたんです」
きっかけは東日本大震災。花は人を元気にしてくれる
そんなとき、東日本大震災が起きた。想像を絶する被害を見て、自分に何かできることはないだろうかと考えた。
「撮りためたフラワーアレンジメントの写真はすでに1000枚を超えていました。それを使って自費出版で写真集を作り、売り上げを被災地に全額寄付したんです。被災地の仮設住宅でフラワーアレンジメント教室も開かせていただき、『お花って、こんなにも人を元気にするんだ』と改めて実感しました」
そんな志穂美さんの活動は、奈良の薬師寺に届いた。ある日、薬師寺の東院堂を丸ごと花で飾ることを依頼されたのだ。
「これも仏縁」全身全霊で挑んだ難題
「最初はとんでもない!と思いました。テーブルの上しか飾ったことがない私に、プールほどの大きさのお堂を丸ごと? しかも国宝で世界遺産。その頃の私にはできる自信がなかったので、躊躇していたら『これも仏縁です』と言われました。仏様が『やりなさい』と言われるのなら、私の人生に必要な体験なのだ。これはもう全身全霊で臨もうと決めました」
この成功が大きな反響を呼び、志穂美さんには次々と花の依頼が舞い込むようになった。
「世界がパタパタと違う姿に変わったようでした」と振り返る。
撮影/広田成太 取材・文/神 素子
※この記事は「ゆうゆう」2024年11月号(主婦の友社)の内容をWEB掲載のために再編集しています。
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