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NHK大河ドラマ「どうする家康」の戦国期に食べていたもの。家康が好んだスイーツは?

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鷹橋 忍

戦国のスイーツ

天文12(1543)年(天文11年説あり)、種子島にポルトガル人を乗せた中国船が漂着したのを契機に、南蛮人(ポルトガル人、スペイン人など)がキリスト教の布教や貿易のために来日し、鉄砲をはじめ、さまざまな品や文化をもたらしました。
南蛮のお菓子の伝来も、その一つです。

岡田准一が演じる織田信長が、桶狭間の戦いから9年後の永禄12年(1569)に、キリスト教宣教師のルイス・フロイスから、ガラス瓶に入ったコンペイトウを献上された話は有名ですね。

他にもカステラや、ボーロ、現在は福岡市の銘菓となっている鶏卵素麺(ポルトガル語でfios de ovos「卵の糸」)なども伝来しました。

当時は砂糖は貴重品であり、宣教師らは砂糖をたっぷり使った南蛮菓子を、貿易や布教の許可を得る際の贈答品として、積極的に利用したといいます。

家康と南蛮菓子

天正9年(1581)6月に、家康は数え年で40歳の時、織田信長から饗応を受けています。

その際の献立の記録によれば、家康は「御菓子」として、羊羹、みかん、くるみ、饅頭、落雁、のし昆布と一緒に、ポルトガルの宣教師から日本に伝えられたといわれる「あるへいとう(有平糖)」をふるまわれています。
 
有平糖は飴菓子で、このときが日本における初見と考えられています(江後迪子『信長のおもてなし』)。

羊羹は汁物だった

最後に家康が信長にふるまわれた御菓子のなかから、羊羹について、お話しましょう。

私たちにとって羊羹は「甘い和菓子」ですが、もとは鎌倉・室町時代に点心として中国から伝来した、羊肉の羹(あつもの、汁物のこと)でした。
それが長い時間をかけて変化を重ね、戦国時代、遅くとも安土・桃山時代にはお菓子となったのです。

練り羊羹はなかった

現在の羊羹は、溶かした寒天に砂糖と餡を入れて練り上げた「練羊羹」が主流ですが、家康の時代は、葛を使用した「蒸し羊羹」でした。

寒天の製法が編み出されるのは、家康が没してから40年以上が過ぎた江戸時代の万治年間(1658~61)、練羊羹が誕生するのは、さらに先のこととなります(青木直巳『図説 和菓子の歴史』)。

家康は練羊羹を口にすることはできませんでしたが、もし、食したのなら、どちらの羊羹が好みだったのでしょうか。

家康がもし練羊羹を食べていたら……

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