【どうする家康】松山ケンイチ(本多正信)の毅然とした態度が印象的! これから、どうする正信?
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鷹橋 忍
本多正信は空誓の軍師ではなかった?
次は、本多正信のその後を取り上げたいと思います。
正信は熱心な浄土真宗本願寺派の門徒であり、三河一揆で家康と敵対したようですが、ドラマのように空誓の軍師だったという記録はありません。
『三河物語』によれば、正信は三河一揆の際に、家康に反旗を翻した酒井忠尚が城主である上野城(愛知県豊田市)に籠もったといわれます。
永禄7年(1564)2月末、家康と一揆勢は和睦しました。家康23歳、正信27歳のときのことです。
一揆平定後、正信は三河国を後にします。
妻子は三河国に残していたようで、『三河物語』によれば、妻子の面倒は小手伸也さんが演じる大久保忠世がみたようです。
正信と忠世は、ドラマでも親しそうでしたね。
三河国を出た正信は、どこへ行き、何をしていたのでしょうか。
どうする正信?
江戸幕府の編纂による大名・旗本・諸家の系譜集『寛政重修諸家譜』には、加賀国(石川県)に住んだとありますが、詳しいことはわかっていません。
本願寺第11代宗主の顕如の命によって、加賀一向一揆に派遣され、吉原光夫が演じる柴田勝家の軍勢と戦ったなど、様々な逸話は伝わりますが、三河を出てから約20年もの間、正信の行動は不明なのです。
長く故郷を離れて、妻子に会いたい、三河国にに帰りたいと思うこともあったのではないでしょうか。
三河国から、帰参の誘いもあったかもしれません。
正信はどうするのでしょうか。