【虎に翼】寅子(伊藤沙莉)が穂高(小林薫)を許さなかったのはなぜ?感情の爆発に、どこか親子喧嘩に近いものも感じる
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田幸和歌子
1日の楽しみは、朝ドラから! 数々のドラマコラム執筆を手がけている、エンタメライター田幸和歌子さんに、NHK連続テレビ小説、通称朝ドラの楽しみ方を毎週、語っていただきます。困難な時代に立ち向かう法曹たちの姿を描く「虎に翼」で、より深く、朝ドラの世界へ!
※ネタバレにご注意ください
★前回はこちら★
【虎に翼】梅子(平岩紙)のおにぎりでやわらかな表情に変わるよね(土居志央梨)。素晴らしい小道具による伏線活用だった
伊藤沙莉主演のNHK連続テレビ小説(通称「朝ドラ」)『虎に翼』の第14週「女房百日 馬二十日?」が放送された。
前週は、かつての学友である梅子(平岩紙)との思わぬ再会と、梅子がずっと縛り続けられてきた大庭家という「家族」という形について、あらためて「はて?」が問いかけられたようなストーリーだった。
今週はまず、そのサブタイトルについて考えてみた。
「女房百日 馬二十日」とは何なのか。妻は100日、馬は20日すれば飽きられてしまうという、どんなものも初めは珍しがられるが、そのうちに飽きられてしまうというたとえ。
はて? 飽きられるものとは一体何だろうか?
有名人となり、本業の他に講演などに駆け回り、時にはサインを求められることもある寅子。初代最高裁判所長官の星(平田満)の著書『日常生活と民法』を、星の息子・航一(岡田将生)とともに改訂する作業を請け負うことでさらに忙しい日々に突入する。
そんななか訪れた、かつての恩師・穂高(小林薫)の退任記念の祝賀会。穂高は基本的に優しい。それゆえに、よかれと思って寅子に言った、出産・子育てを優先してはという提案。そのときの、「雨垂れの一滴」という言葉が寅子の逆鱗に触れたことは記憶に新しい。穂高は祝賀会でのスピーチで、自分もこの「雨垂れの一滴」だったと自虐的に言う。これに寅子は激怒、任されていた花束贈呈を放棄して会場を出てしまう。そんな寅子に謝る穂高を許せないと言い放つ寅子。
「女房百日 馬二十日」とは、この時点では、まだまだ女性法曹家という存在そのものが最初に珍しがられるだけの、所詮「雨垂れの一滴」にすぎないことを表しているのだろうか。時の人になった寅子の現時点での立ち位置のことだとすれば、それはものすごく非情なサブタイトルだ。
穂高の自虐的なスピーチは、自分ができなかったことを自分も雨垂れの一滴だったからと置き換えた「逃げ」の部分はあったかもしれない。しかし、年老いて去りゆく師に対して、なぜそこまで言うのか。これはシンプルな「怒り」とは違うからではないだろうか。
寅子には、穂高への敬愛が今なお根っこにはあるからにほかならない。それゆえのもどかしさ、自分でも分かっていながら抑えきれない悔しさ、仲間達みんなを背負っていただけに、全否定されたような思い——それらがうまく処理できず、感情をぶつけてしまう。個人の怒りではないいっぽうで、寅子の感情的な爆発は、どこか親子喧嘩に近いものも感じる。偉大で尊敬していたはずの親をいつの間にか追い越したように感じる、少し寂寞とした思い。そしてずっと偉大でいてほしいと思う気持ちが怒りに置き換わったのではないだろうか。
その後、穂高はあらためて寅子のもとを訪れ、おだやかに謝罪する。そして、寅子も自分の思いを正直にぶつけることで、ようやくわだかまりが解けた二人。いっぽう、ストーリー上で改訂作業や穂高への怒りのエピソードと並行して家裁ですすめていた案件は、日本人男性とフランス人女性との離婚調停だった。息子の栄二(中本ユリス)が起こした窃盗事件と、栄二の親権を手放したがる両親、実にナイーブで複雑な問題だ。心をとざし、一切口をきかなかった栄二も、ようやく心を開き、信頼できるおばの存在を明かし、少年部と家事部の連携により解決した。