【光る君へ】藤原道長(柄本佑)は権力の階段を上り詰めたものの、心休まる相手は紫式部(吉高由里子)のみ…ドラマはいよいよクライマックスへ
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志賀佳織
第44回「望月の夜」
そして第44回。三条天皇は譲位の交換条件として、自身の姫皇子・禔子(やすこ)を、道長の長男・頼通に嫁がせたいと言ってきた。隆姫という妻がいる頼通は頑なに拒む。両親が強引にすすめるのなら、隆姫とともに地位も身分も捨てて都を出るとまで告げたのだ。その姿は、かつての道長とまひろを思い起こさせるものでもあった。
道長は頼通に会えていないとしてはっきりとした返答をしないまま、三条天皇を苛立たせた。その天皇は、ついに道長を准摂政として政を委ねると言い出す。実質的な権限は道長に譲りながらも、天皇の位には執念深くしがみつくのだった。
結局、教通を通じて、頼通は怨霊によって重病に冒されているという噂を流し、この話をなきものとした。三条天皇は実資の助言を入れて、東宮に敦明親王を立てることを条件に譲位に応じ、彰子の子・敦成親王は9歳にして即位することとなった。
長和五(1016)年、後一条天皇の即位の礼が執り行われた。道長は幼い天皇の摂政となり、彰子は国母となった。
時代は流れていく。まひろの父・為時は出家し、道長は左大臣と摂政を兼務する立場に立つようになった。しかし多くの公卿たちは、そんな道長に、権力が集中しすぎていることを懸念していた。ある日道長は、そのことを藤原公任(きんとう/町田啓太)から告げられる。
そしてその年の終わり、まひろのもとを訪れると、どちらの職も辞そうと思うと伝えるのだった。まひろは、道長の「民を思う心」は頼通に伝わっているのかと尋ねる。しかし「俺の思いを伝えたところで何の意味があろう」と道長は虚しさを隠しきれない。そんな道長にまひろは「頼通様に伝わらなくても、いずれ気づかれるやもしれませぬ。そして次の代、その次の代と、一人で成せなかったことも、時を経ればなせるやもしれません。私はそれを念じております」と伝えて寄り添うのだった。
寛仁元(1017)年、頼通は後一条天皇の摂政となり、内大臣と兼務になった。頼通は妹・威子(たけこ/佐月絵美)に後一条天皇に入内してほしいと頼む。9歳も年下の天皇への入内に抵抗した19歳の威子だったが、結局、翌春に入内した。
時代も世の中も確実に変化して、三条院(譲位後の三条天皇)が世を去り、その息子の敦明親王は自ら東宮の位を降りた。寛仁二(1018)年、彰子は太皇太后(たいこうたいごう)に、妍子は皇太后、威子は中宮となり、3つの后の地位を道長の娘3人が占めた。
土御門殿では威子が中宮になったことを祝う宴が催された。満月が空に輝く夜、道長はふと「歌を詠みたくなった」と言い出し、あの有名な歌を口にする。
「このよをば、わがよとぞおもふ もちづきの かけたることも なしと思へば」
道長は実資に返歌を求めたが、実資はあまりに優美な歌に返歌は詠めない、その代わりにその場の皆に呼びかけて、全員でこの歌を唱和するのだった。
自らの本当の思いは多くの内裏の人間には理解されず、心休まる相手はまひろだけ。権力を手にすればするほど、道長の志と現実がかけ離れてしまっていくのが切ない。確かに少し焦り過ぎの感は否めないが、それもまひろとの約束を果たしたい一心だったのだろう。あるいは亡き・直秀(なおすけ)への思いもあったかもしれない。次世代に少しずつ譲り始めた道長はどこへ向かうのか。そしてまひろの物語は。いよいよドラマはクライマックスを迎える。
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