若者に混じってオバハンが稽古に奮闘!?「40代、50代は人生をリスタートするのに最適だと思います」【赤間麻里子さんのターニングポイント#2】
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佐藤望美
TikTokで公開されたショートドラマをきっかけに遅咲きのブレイクを果たした女優・赤間麻里子さん。朝ドラをはじめ、活躍の場を大きく広げています。第2回は、40歳手前で最後のチャレンジに挑んだ経緯について教えてくださいました。
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≫≫「年齢確認すんだよ!」2億回再生の動画でスターダムへ。『虎に翼』にも出演した女優が語る「仕事がなかった30代」【赤間麻里子さんのターニングポイント#1】
PROFILE
あかま まりこ●1970年8月26日生まれ、神奈川県出身。女優。主な出演作にドラマKTV『アンメット』、NHK連続テレビ小説『虎に翼』、TBS『海に眠るダイヤモンド』、映画『わが母の記』『ヘルドッグス』など。クリエイター集団【こねこフィルム】の作品「年齢確認」では、コンビニを舞台に年齢を確認され、妙齢女性をコミカルに演じ多くのファンを魅了、そのシリーズの総再生回数は2億回を超える。映画『うぉっしゅ』が5/2より新宿ピカデリー他全国公開、『仏師』2027年春公開予定。
「39歳が最後のチャンス」と芝居の世界に再び飛び込んだ
−怒涛の子育て時代を経て、映画に初出演されたのが41歳。
子育てには感動がいっぱいあったし、子どもたちと過ごす時間は幸せでした。でも、やっぱり私は芝居をやりたい。自分に正直な気持ちに向き合うきっかけになったのは、無名塾時代の「ダメ出し帳」です。
実家に保管してあった何十冊ものノート。処分する前にちょっと見てみたら、19歳で入塾した日の自分のコメントが目に入ったんです。「40歳になって何者にもなっていなかったら、潔く諦めること」と書いていて。39歳の今、これは本当に最後のラストチャンスなんだ。諦める前にやれることがあるならやりたい。そう思って、また芝居の世界の飛び込んだんです。じゃあ誰と一番仕事したい?と考えたとき、原田眞人監督が頭に浮かびました。監督に直接アプローチして、当時開かれていたワークショップに参加することになりました。
井筒和幸監督の作品も大好きで、監督が代表を務めている映画学校に入学。周りは20代の子ばかりで、入学式では「何でこんなところにオバハンが? 場所間違えてない?」と監督に言われて(笑)。でも、私にとってこれがラストチャンス。無我夢中だったんですよ。自分から動いたことで、原田監督に声をかけていただき映画初出演が決まりました。
−ラストチャレンジに奮闘している間の家事育児は夫がサポート…?
じつは私、結構完璧主義のところがあるんです。人に任せられないタイプで。夫が手伝ってくれようとしても、自分のやり方でやりたいから結局自分でやっちゃう。第一子の子育て中は、母に育児ノイローゼ気味じゃない?と言われていたほど。粉ミルクを1回も使ったことがないし、電子レンジやプラスチックの器は絶対に使わないと決めていました。もちろんおむつは紙ではなく、布おむつです。おやつは手づくりで、ファーストフードや炭酸飲料も与えたことがなかったですね。2人目からはかなりアバウトになりましたが(笑)、ラストチャレンジをしている間も基本的には私が家事や育児をこなしていました。この日程は家にいない、というのがあらかじめ分かっているから、そこに向けて冷凍おかずを仕込んだりして。家を空けることに対しての後ろめたさの裏返しでもありました。
「ママはいつも芝居の勉強をしているけど、いつ発揮するの?」と思われていたかも
−悩み、奮闘される赤間さんの姿を見て、お子さんたちはどのように感じていたのでしょうか?
売れないながらも、地道に芝居の勉強は家で続けていました。本を読んだり、同じ映画を何度も見返したり、ワークショップへ行ったり……。ずっと勉強はしているけれども、そのスキルをいつ発揮するんだい? 一体何のために?と感じていたと思うんですよ。でも、そこは触れちゃいけないと子どもたちも分かっていたのではないでしょうか。
売れていないことは、お母さんが一番よく分かっている。長男からは、以前「芸能関係の仕事をしていてインスタのフォロワーが300人なんて大丈夫? やらないほうがいいんじゃない?」と心配されたこともありますが(笑)。でもみんな、今こうやって多くの方に見ていただけるようになってすごく喜んでくれていると思います。ママ友たちも、「本当によかったね!」と言ってくれて。子育てに専念していた時、仕事をもらえるのは年1回くらいでほぼ専業主婦だったから、子どもの学校のPTAや行事のボランティアは毎回いるタイプでした。彼女たちからすれば、普通のママ友が突然役者になったような不思議な感じだと思います(笑)。
元気に動けるのはあと10年か15年。何歳からだってチャレンジできる
−チャレンジするのは、怖いものです。赤間さんはなぜ行動できたのでしょう??
やっぱり芝居が好きだという気持ちと、今まで頑張ってやってきたことをここで手放すの?という恐怖心、どちらもありました。年齢的にも、40歳から再スタートというよりまだ39歳だ、と言っていられる間にやらなきゃいけない。そう思って飛び込んだんです。読者の方の中にも「私なんて」「今から何かできるとは思えない」と考えている方がいるかもしれないですが、40代や50代って、人生をリスタートするのに一番いい年なんじゃないかと私は思います。まだまだ元気だし、お金さえ貯まったら旅行にも行けるし、自分の歯でおいしいものを食べられるし……。体を自由に動かせる時間って、じつはそんなに残っていない。もしかしたら10年、15年しかないかもしれない中で、何かやりたいことがあるなら絶対にやったほうがいいと思います。昔習っていたピアノを再開する、ボランティアを始める、資格を取ったりする。何でもいいのですが、それでどんどんコミュニティが広がっていきますよね。
ただ、私自身は、ようやく映画に出演して軌道に乗り始めたと思い始めたところで、乳がんが発覚してしまったんです…。
赤間麻里子さんのターニングポイント②
「『40歳で潔く諦めること』。19歳の自分からのメッセージで心が動いた! 諦める前にやれることをやろう、と自ら動いたことが、映画出演につながりました」
撮影/吉田勇生(TRON) ヘア&メイク/阿部美咲(Eulysses) 文/佐藤望美
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