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ホットフラッシュに全身痛…「更年期障害は経験し尽くしました」最愛の父の介護に対する後悔も【赤間麻里子さんのターニングポイント#4】

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佐藤望美

TikTokで公開されたショートドラマをきっかけに遅咲きのブレイクを果たした女優・赤間麻里子さん。朝ドラをはじめ、活躍の場を大きく広げています。第4回は、乳がん治療ためのホルモン療法、そして元気だった父が突然認知症を発症した経緯について教えていただきました。

▼第3回はコチラ▼

≫≫乳がん告知。それでも芝居は続けたい…かつらをかぶり、ビニール袋持参で撮影現場へ【赤間麻里子さんのターニングポイント#3】

PROFILE
あかま まりこ●1970年8月26日生まれ、神奈川県出身。女優。主な出演作にドラマKTV『アンメット』、NHK連続テレビ小説『虎に翼』、TBS『海に眠るダイヤモンド』、映画『わが母の記』『ヘルドッグス』など。クリエイター集団【こねこフィルム】の作品「年齢確認」では、コンビニを舞台に年齢を確認され、妙齢女性をコミカルに演じ多くのファンを魅了、そのシリーズの総再生回数は2億回を超える。映画『うぉっしゅ』が5/2より新宿ピカデリー他全国公開、『仏師』2027年春公開予定。

ホルモン療法で更年期障害のような症状が次々と……。

−乳がんの闘病生活は40代で始まりましたが、その間に更年期障害は出なかった?

乳がんのホルモン療法を始めたときにそれらしき症状をたくさん経験しました。今思うと、あれが更年期障害だったのかもしれません。抗がん剤治療の間に生理はピタッと止まりました。同じ病状の友人がホルモン療法をしていて「ホルモン治療は全く副作用がなくて楽勝!」と言っていたので、私も余裕かと思いきや、抗がん剤同様、私にはきつい治療でした。ホットフラッシュもひどかったですね。電車に乗っていても急に頭がフワッと熱くなって、「来た来た来た」とハンカチを取り出す。リウマチみたいに全身がきしんで、階段を降りるだけでも大変でした。更年期以降の女性に多いヘバーデン結節(手指の変形性関節症)のような症状もありましたし。手指が痛くて家事が全然できない。メンタルもかなり落ち込みました。子どもに暴言を吐いては落ち込み、泣いて、また翌日には同じことを繰り返して。子どもをずいぶん泣かせてしまいましたね。

−ホルモン療法はどれくらい続いたのでしょうか。

本当は15年継続して行うのですが、私はたった3ヵ月でドロアップアウト。やめることで再発率は上がると言われたけれど、夫も「やめてもいいんじゃない」と私の気持ちを尊重してくれました。でもね、ホルモン療法をやめたらこうした症状もピタッとおさまったんですよ。スッキリしました。今54歳ですが、それ以来は更年期障害のようなしんどさは感じていません。

体力に自信のあった父が骨折して入院後、わずか3日で認知症に

−昨年にはお父様を89歳で亡くされています。

父はフルマラソンを完走するほど体力にはずっと自信がある人でした。膝に負担がかかるからとウォーキングに切り替え、自宅にあったウォーキングマシンに体をぶつけて肋骨を骨折してから大きく運命が変わってしまいましたね。その怪我で入院した夜、起き上がったり、動き回ろうとするのを抑えるため手を縛られたことをきっかけに、認知症の症状が一気に出てしまったのです。拘束され始めた翌日には、もう顔が変わっていました。

−その間、たった3日ほどだったそうですね。そんなに早く進行するなんて驚きです。

ずっと元気で活動的に動き回っていた人だったから、ベッドで1日中寝ていることにショックを受けたんでしょう。一時的に錯乱しているような状態で、「すぐ戻りますよ」と先生には言われたのですが、そのうち足も縛られてしまって、余計に荒れました。骨折だから元々は整形外科だけなのに、レントゲンでは肺に白い影が写ったことで「肺気腫や肺炎かもしれないから。それも治して退院しましょう」と。それでも4日くらいで退院する予定だったんですよ。でも手足を縛られ、会いに行くたびに顔がどんどん変わって、10日くらいで私のことも分からなくなっちゃったんです。

面会禁止になり、そのままお別れ。今も残る後悔

面会時間中は手足の拘束を外してくれるんです。だから14時から終了時間ギリギリまで5、6時間、毎日病室に行って話しかけていましたね。私のことが分からなくなった後も、時々ふと私の名前を呼んだり、普通に会話ができたり。私はそこに希望を持って、「退院させたい」と医師に伝えたんです。でも「口からものを食べられないから無理です」と。入院前まではしっかり食事できていたのに……。私は胃瘻にしてでも家に帰したかったけれど、母は反対でした。

−医療や介護の方針は、家族間で意見が異なることも多いですよね。

そうなんです。同じ家族でも、思いが違う。「お父さんは胃ろうをしてまで生きたくはないと思う」と母は言っていました。そうこうしているうちに院内で感染症が蔓延して、面会禁止になってしまったんです。だから、最後は会えないままお別れしました。意識があったかどうかは分かりませんが、死因は結局、心不全。それまで毎日娘が来ていたのに、急に来なくなって、生きることを諦めてしまったんじゃないかと悔しく思います。肺のほうは点滴で治っていたのですが、食事ができないから退院できなくて、でもトレーニングは怒って拒否するからできない。悪循環でした。亡くなった後いろいろ調べたら、身体拘束がいかに寿命を縮めるかという資料や記事も目にすることがあって。もちろんそのご家族ごとにお考えがあるとは思いますが、私は「何がなんでも退院させればよかった」「もっとできることがあったんじゃないか」と今でも後悔しています。

「思いはいつか成就する」父の言葉にずっと支えられてきた

−赤間さんのご活躍は、お父様はどのように見守っていらしたのでしょうか。

朝ドラに出演する前に亡くなっていますから、残念でした。きっと大喜びしてくれたと思います。芝居に関しては、「やると決めたなら、やり続けるのがいい。その思いはいつか成就するはずだから」って応援してくれていました。

父はとにかく努力、努力の人。入院することになる前日まで毎日図書館に行って勉強し続ける父を、すごく尊敬していました。日本の政治、エネルギー問題、若者たちの行く末。いつも頭を悩ませて、本を読んで勉強していましたね。趣味だったバイオリンの稽古も毎日。小学生に混じって発表会に出ていたんですよ。どんな巨匠が大トリで演奏するのかと思ったら「あれ?」と思うレベルの演奏で、違う意味で会場が少しざわつきました(笑)。

赤間麻里子さんのターニングポイント④
「尊敬する父を突然亡くした悲しみは計り知れません。やると決めたら努力、努力という人。私も40を過ぎてから若者と一緒に芝居の学校に通っていたので、この性格は父譲りなのかもしれません」

撮影/吉田勇生(TRON) ヘア&メイク/阿部美咲(Eulysses) 文/佐藤望美

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