何度も倒れて救急車で運ばれて…「フィンガー5」が一世を風靡した舞台裏は?【晃さんのターニングポイント#3】
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植田晴美
自慢のハイトーンの声が出ない! 中学2年生で迎えた変声期
——歌手としての晃さんにとって、変声期は大きな転機でしたよね。
来ましたね、その質問(笑)。
中学2年のときね。あれはショックだった。あんなに出ていた声がかすれていって、どんどん出なくなっていく。今までみたいに歌えなくなるのかって、相当悩みましたよ。
男の子って11歳から13歳ぐらいまでが一番いい声が出るらしいんです。だから外国の少年合唱団の子たちも、それぐらいの年齢でしょ? 確かにボクもそうで、再デビュー当時は3オクターブぐらい出てた。だから歌うボクも楽しいし、曲を作るほうだって「これだけの音域が使える。どんな曲にしようか」って楽しい。その声が出なくなっちゃうわけですからボク自身はもちろんですが、周りの大人たちも困ったと思います。
変声期を遅らせるために、女性ホルモンを打ったらどうかとも言われましたよ。あの声を残したいっていう気持ちからだったと思うけれど、ボクは自分の体のことは自分で決めるべきだと思っていたので、親やきょうだいにも相談せず、イヤだって断りました。
——やがてフィンガー5活動休止の時期を迎えます。
ボクの変声期後にちょっと人気が下火になって、仕事もだんだん減ってきて。「じゃあ、どうしようか」と、また家族会議をするわけです。
ふつうのグループだったら引退とか解散とかになるんだろうけれど、家族なんで解散はできないし、引退っていうのも何だかちょっと違う。じゃあとりあえずグループとしての活動をやめて、みんなそれぞれが自分の得意なことをしようと。
長男は不動産、次男は美容師、三男は飲食店経営。ボクと妹は特に決めていなかったけれど、まあ何とかなるだろうと。
——芸能界に残ろうとは思わなかったんですか?
うちはきょうだいでやっていたからね。当時は一人でやっていく自信もなかったし、きょうだいみんながやめるんだから、ぼくもやめるっていう感じですね。でもよく考えてみたら、ボクは8歳の頃から歌ってるから、これしか知らないよっていう話で(笑)。この後、極貧生活を経験することになるわけです。
▼次回は活動休止後、未知の世界に飛び込んでからのお話をうかがいます。▼
晃さんのターニングポイント③
中学2年で変声期を迎えた晃さん。「ふつうのグループだったら引退とか解散とかになるんだろうけれど、家族なんで解散はできないし、引退っていうのもちょっと違う。とりあえずグループとしての活動をやめて、みんなそれぞれが自分の得意なことをしようということになった」
晃さん Profile
あきら●1961年5月9日生まれ。1969年沖縄から上京。1970年兄弟5人“ベイビーブラザース”でデビュー。その後“フィンガー5”に改名。1973年、『個人授業』が爆発的な大ヒットとなり、レコードセールス145万枚突破。『恋のダイヤル6700』『学園天国』と3曲続けて100万枚突破のミリオンセールスを記録し一世を風靡する。その後メンバーの入れ替えやグループの解散等で芸能活動を休止。サラリーマンとして会社勤めの経験を経て2002年より音楽活動を本格的に再開。定期的なライブ活動のほか、TV、ラジオ出演、『夢スター歌謡祭 春・秋』コンサート全国ツアー出演中。
撮影/柴田和宣
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